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今回は、行動経済学を考えていく上で非常に重要となる限定合理性について考えていきたいと思います。
経済学の話となると「合理性が〜」といった話が出てきますが、この本筋を捉えていくのが目的となります。
この点を押さえることができれば、ナッジの裏にあるリバタリアン・パターナリズムなどの思想への解像度が高まると期待できます。
行動経済学を学びたい・ナッジを理解したいという人はぜひ読んでみてください!
僕は一橋大学大学院の経済学研究科で行動経済学について研究していました。経済学の面白さ、社会での有用性を広げるため、当ブログを開設しました。
このブログ(Economix)では経済学と大好きなガジェットを中心に情報発信しています。
経済学とは
合理性云々を考える前に、一度、経済学とは何かを振り返っておきましょう。
今回、初めて経済学に関わる方の中には少しズレた認識をされている方もいるはずです。
僕が経済学を研究しているというと、「お金をうまく稼ぎそう」とか「株を教えてよ」という話をされる方がいます。
しかし、それらは「経営学」や「金融」などの分野であり、経済学ではありません。
では、経済学とは何かと端的に言うと「お金の流れを理解する」学問です。
確かに、お金の流れを理解する上で、「利益を最大化する方法は」という話は出てきます。
しかし、稼ぐのが目的ではないのです。
利益最大化が出てくる理由は、「みんながスーパーコンピュータみたいに賢くて、一瞬で最大の利益を出す方法を知って実践する」という仮定が経済学にはあり、それを理解するためなのです。
これは「経済人」や「ホモエコノミクス」と呼ばれる仮定であり、経済学の基礎となっています。
この計算に使われる一貫した数式や考え方を「合理性」と呼び、経済学の世界では数学的な理論で説明しています。
経済学についてはこちらの記事でも解説しているので、ぜひ参考にしてみてください。
合理性とは
経済学における合理性とは、先ほども言った通り「結果を導くための一貫した計算方法や考え方」です。
しかし、これは数学的に正しいかに立脚した考え方です。
人間皆、瞬時に全ての計算を正確に終わらせて、数学的に正しい判断を下せますか?
それは土台無理な話です。
人間の行動は、数学のみで説明できるものではなく、感情やその時の状況によって左右されてしまいます。
しかし、その左右され具合に「一貫性」があればそれはその場における「合理的」な行動と呼べるのではないでしょうか?
つまり、合理性とは「数学的考えかによらず、その行動が一貫した考えのもとに組み立てられているか」と言い表すことができるのです。
行動経済学は、この意味合いで、人の合理性はどのように形成されているのかを理解していく学問となります。
行動経済学についてはこちらの記事で、詳細を紹介しています。
限定合理性とは
では、この記事のタイトルにもなっている限界合理性とは一体何なのでしょうか?
ざっくりというと、「人間の考え方は一貫しているわけではなくて、時に矛盾する」ということです。
基本的には一貫しているのに、途中で限界がきて一貫ではなくなるのです。
例として、有名な思考実験をしてみましょう。
今部屋に30人いるとしましょう。そして、各々0~100までの数を1つ選びます。
そして、全員が選んだ数字の平均に0.7をかけた値に一番近い人が賞金をもらえるとしましょう。
この時、あなたは何を選びますか?
選んでから続きを読んでください。
パッと続きが目に入らないように、関連する話を少し、、、。
人間の合理性や限界合理性については、様々な実験で研究されています。
一般に潜む行動科学は色々な読み物で探究されていますので、ぜひ読んでみてください。「人間」への解像度が高まると思います。
まずは、合理的に考えてみましょう。
全員がランダムに数字を選んだとすると、その値の期待値は50となります。ここに0.7をかけてあげると35です。
ということで、35を選ぶのが良く見えます。
しかし、みんなが合理的に考えると全員35を選びますから、平均は35になります。
つまり\( 35 * 0.7 = 24.5 \)が良くなります。
しかし、それもみんなが選ぶかもしれないので、、、。
これが続くと、最終的に0に収束します。
これが合理的に考えた結果です。
しかし、実際にこの実験をやってみると結果は異なってくるのです。
大体の人が考えるのを途中でやめてしまうため、結果は10-20あたりで止まってしまいます。
つまり、人が合理的に考えたとしてもその思考回数には限界があり、完全に一貫した考え方ができないということです。
この状況のことを「限界合理性」と呼びます。
人間は完全には合理的ではない
このような多数の思考実験の中で、人間の合理性について様々な探究が進められてきました。
そして分かったのが、人の「合理性」は必ずしも一貫しておらず、矛盾を孕んでいるということです。
この矛盾は時として人の幸福度を下げてしまったり、害を及ぼしてしまう可能性があります。
そこで、行動経済学ではその「害」を低減してあげる必要があるという話が出てきます。
これこそが、ナッジという考えの発端になるのです。
まとめ
今回は限界合理性についてみてきました。
行動経済学を語る上で必ず登場する概念であり、理解しておくことが必要不可欠です。
にも関わらず、「合理的でない」というのを旧来の「経済人ではない」と勘違いして捉えている人もいます。
「合理的でない」とは「思考が一貫していない」ということだと、理解していただければ嬉しく思います。
より興味を持っていただけた方は、限界合理性の「修正」をどのように行うのかについての思想対立を反映したリバタリアン・パターナリズムについて読んでいただければと思います。